日本ぶどうワインの父 川上善兵衛


今回は「日本ぶどうワインの父」と呼ばれる川上善兵衛と彼が作った「岩の原葡萄園」について、ご紹介したいと思います。

1868年(明治元年)新潟県の北方村(現在の上越市)の大地主川上家の長男として生まれた川上善兵衛は父が病死した為、7歳で川上家の当主となった。
1890年(明治23年)川上家と親交のあった勝海舟の勧めで、ぶどう栽培とワインの醸造を決意し、地元に「岩の原葡萄園」を開いた。
独創的な方法を試みてワイン作りに成功し、虫害や多湿に強い日本初の醸造用品種マスカットベーリーAを開発する。
(ここまでwikipediaから抜粋)

川上善兵衛の生涯を辿ったパネルが「岩の原葡萄園」のワインショップ兼資料館に展示されています。
今でこそ日本の代表的な赤ワインの品種として定着しているマスカットベーリーAを明治時代に善兵衛が開発したというだけで、彼の功績の大きさが分かりますね!

「岩の原葡萄園」を2013年(平成25年)10月上旬に訪問しましたが、メインの建物がちょうど大規模改修中でした。。。
ショップやレストランは臨時店舗が営業中でしたが、できれば改修終了後の訪問をお勧めします。


左下の新しい白い建物にショップ、レストラン、資料館が入るものと思われます。

他には第二号石蔵や雪室(ゆきむろ)を見学してきました!

第二号石蔵は1898年(明治31年)建造の赤ワイン熟成庫で、年間を通して室温が一定になるように半地下式の独特の構造をしています。

石蔵の中の写真ですが、樽が並んでいますが、右手に古い樽が見えます。
「岩の原葡萄園」は1892年(明治25年)には樽製造を行っていた、日本最古の樽製造所でもありました。
昭和42年には樽製造は中止され、現在は高級赤ワインの熟成にはフレンチオーク樽を使用しています。

現在は SEGUIN MOREAU(セガンモロー)社の樽を使っているようです。
このメーカーの樽、あちこちのワイナリーでよく見かけますね。

石蔵の左奥に旧雪室(ゆきむろ)の入り口があります。
雪室とは、
1898年に設置された、豪雪の地域で雪の冷熱を利用して、ワインの発酵や貯蔵の温度をコントロールする日本初の低温発酵システムです。

こちらの写真は2005年に自然エネルギー利用の伝統を引き継ぎ、安定した温度と湿度条件下でワイン製造を行う為、再建された新しい雪室です。
雪の貯蔵量は約330トンで、雪溶け水を循環させ、熱交換して隣接する第二号石蔵を冷房しています。

これらの石蔵も雪室も樽製造も、すべて明治時代に川上善兵衛が始めたことです!
彼が「日本ぶどうワインの父」と言われる所以ですね~



臨時のワインショップです。
岩の原葡萄園というと、この地域の特性をワイン名に表現した「深雪花(みゆきばな)」を思い出します。

川上善兵衛の足跡と日本のワイン作りの始まりを探求できたワイナリー訪問でした!
[pinomayu]

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